8


 胸元にくすぐったさを感じてカミナは夜中に目を覚ました。
 胸の辺りに手をやると、シモンがぴたりとくっついて眠っている。
 窓に背を向けて寝たが、今は窓側を向いている。寝返りをうった時に小人を押し潰さなかったのが不思議だ。
 確かめる為に触ったせいで、シモンが目を覚ます。
 二度三度目を擦って起き上がり、まだ横臥したままのカミナにキスをしてくる。触れた唇から、すっかり熱は下がっているのが分かり、安心する。お返しとばかりにふざけて顔を舐めると、またキスを返してくる。
「アニキ」
 新しく覚えた単語にカミナは気を良くして頭を撫でてやる。
 何かというとキスをしてくるシモンは、弟分というよりまだ飼い犬や飼い猫に近い感覚だ。きっと身体が人間サイズで、普通に喋る者だったらこんなスキンシップは決してしない。
 夢現で戯れていたが、階下に気配を感じて、カミナの意識ははっきりと覚める。
 時刻は朝の日課より二時間程早い。
 不審な物音はダイニングから聞こえてくる。
 おどろおどろしい雰囲気を漂わせる洋館で、尚且つ、豪腕親子として有名な神野家に入る賊とは度胸があり過ぎるバカか、或いはテッぺリンからの襲撃者くらいの者だろう。
 どちらにしろ、最新警備システムを張り巡らせる我が家の警報に引っ掛からなかった所をみると一筋縄ではいかない相手と踏んで、カミナはダイニング扉の前でシモンを廊下に降ろすが、いつもの通りシモンが嫌がり、手にしがみついてくる。
「大人しくしてろ、ちっと手の掛かる客みたいだから、お前が怪我すっといけねぇ」
 小さな顔の大きな目に涙が零れそうになっている。それを舌で掬って、カミナからキスをしてやる。
「10分だけここで大人しくしてろ、シモン」
「…アニキぃ…」
 しぶしぶ大人しくなったシモンを物陰に降ろし、音を立てずにダイニングに滑り込む。物色している黒い影の背から、両手の拳を組んで、首筋に一撃を叩き込んだ。
「カミナ様の家に入り込むとは良い度胸だ、てめぇどこの…」
 倒れた黒い影から素早く拳が飛び出し、カミナのこめかみをかする。
 俺の拳を喰らって立ち上がるとは、と驚くカミナに聞き慣れた声が耳に入る。
「誰がお前の家だ、バカ息子、ここは俺の家だ!!」
 立ち上がった黒い影はまごうことなき、神野ジョー博士その人。
「親父?!てめぇの家で何コソコソしてやがんだ、明かり位灯けやがれ」
「事情があんだよ。お前が起きたんなら丁度いい、食いモン持って地下に来い、俺は腹減ってんだ」
「お、おい、なんだよ急に」
「騒ぐなご近所様に迷惑かかんだろうが、とっとと降りて来い」
 そう云って、神野博士はさっさと地下への扉に消える。
「食いモンなんざキッチンにあるに決まってんだろうが、どこ探してやがんだあのクソ親父」
 かき集めた食料と、廊下に置いてきぼりにしたシモンを拾い、神野博士の後を追う。
 地下に降りた神野博士は全ての機器を起動させていく。
「何か食いモノ寄越せ」
 カミナが食パンを袋ごと投げると、一枚取り出してそのまま口に入れる。
「飯食いてぇなぁ」
 三口で一枚を口に納め、咀嚼しながら、二枚目を取り出す。
「昼には米粒食わせろ。丼作れ、肉が食いたい。水」
「米食いたいなら、外食するなり出前を取りゃいいだろうが。何で俺が作らなきゃいけねぇんだよ」
 腹立たしげにペットボトルを投げつける。
「俺が帰ってきた事は、大グレン団以外にゃまだ云うな」
「なんで?」
「事情は後だ、おら、とっととグレンラガンに乗れ」
「おまっ、今何時だと思ってやがんだ」
「留守中分を取り戻すぞ」
「後数時間したら学校行かなきゃなんねぇんだよ、帰ってきて早々何急いでやがる」
「あー、今日は土曜か…。理事長も午前は学園詰め…か…」
 紅蓮学園の土曜日午前は部活動に充てられていて、授業はないが全員登校が原則になっている。
「じゃあ日課分を今やれ、んで学校行って、午後には戻ってこい」
「あ?」
 昨日交わしたヨーコとデートの約束に、危険信号が点滅し始める。
「いきなり帰ってきやがって何言ってやがる、こっちの都合はお構いなしかよ!」
 この約束だけは阻止させまいとするのと、言いたい放題の父親に一泡ふかせたくて、シモンを父親の目の前に出す。
「親父っ、こいつをとくと拝みやがれ!!」
「な、な、な、なんじゃこりゃあ」
 シュチュエーション的に当然な、息子と全く同じ叫びを神野博士は上げた。
 その様子に満足にカミナは頷く。シモンの解明に今日一日没頭してくれれば、自分の身は自由になる。
「お前、これなんだ?」
 顰め面で神野博士はシモンを指差す。
「小人。親父が出掛けた翌日俺宛に卵が届いて、こいつが孵ったんだ。なんか心当りねぇか?」
「卵…?……送られてきたガワは?」
「いつの間にか消えた」
 空気か光に劣化し易い素材で消滅し、送られた痕跡を残さないようにしたのだと、神野博士は推測した。そしてそんな事を考え付き、実行する人物を思い浮かべ、小さく舌打ちする。
「なんでコイツをこのグレンラガンのドックに入れた?テッペリンの送り込んだモノたぁ考えなかったのか?」
 自分の息子の愚行に、拳を握り締める。
「リーロンと理事長が大丈夫だっつったから」
「なるほど…な」
 一応納得し、シモンをよく見ようと握った拳を開き、シモンをカミナからもぎ取ろうとするが、例の如く本人が怯え嫌がり、泣き出す。
 それを無視して神野博士がシモンを掴んだが、大きな手から必死で逃れようと暴れる。
「やだぁ、兄貴、助けて!」
「握り潰しゃしねぇ、大人しくしろ」
「親父にも懐かねぇ…のか」
 手の中で暴れるシモンを器用に掴んだまま、カミナの呟きに神野博士が訝しがる。
「?」
「あー、そいつ、俺にしか懐かねぇんだよ」
「んだと?」
「俺から離れるとひたすら泣く、食い物は口移しでねぇと摂らない、中途半端なスケールだから人形の服を宛がう事も出来なくて、着る物を作るのに理事長がやたらと張り切りやがって会議をサボる、言葉が不自由…って昨日プログラムはエライ流暢に喋ったっけか。とにかくいきなり子育て押し付けてきやがって、送りつけたヤローに一発拳を見舞わなきゃ気がおさまらねぇ、しかもこれ見ろ!」
 例の携帯画像を突きつける。
「この小人の…女装…?お前、いつからこんな趣味に…」
「俺じゃねぇ!!理事長が会議サボってまで作ったのがこのメイド服なんだよ!!しかも絶妙のアングルで写メ撮りやがったんだ」
 神野博士は頭を抱えて蹲る。
「……っんの、ヤロー…」
 手の中の小人を握りつぶしそうになるのを堪え、神野博士はシモンをカミナに返す。カミナの手に戻ったシモンは神野博士から隠れる様にカミナの襟元に潜り込む。
「プログラムがどうこうってのは?」
「昨日いきなり、こいつがグレンラガンの操作プログラム作成して、リーロンが使うとか言ってやがった。あ、この中にある」
 カミナがパソコンを開き、博士は読み始める。読みながら食パンを食べつくし、次の食べ物を乞うたのでカミナはビーフジャーキーを手渡す。
「確かに、採用だな」
「おい、シモンやっぱお前すげぇな、さすが俺様の弟分だ」
 褒められ、嬉しげにシモンがカミナに頬擦りするのを、冷ややかに博士は眺める。
「お、それから、急にシステムダウンするのも、一昨日あたりからなくなった。データはいつものフォルダの中だ」
「原因は?」
「さっぱり」
 神野博士から重い溜息が漏れた。そんな父親の様子が珍しくカミナは少しばかり驚く。
「理事長達とブリーフィングしてぇな。……まあいいお前、日課分はついでに今やれ。どっちにしろ、今日の午後は学園地下基地に集合だ。報告しなきゃならん事が山ほどあって面倒臭いから、全員一度に済ましてぇ」
 その旨のメールを打ち始めた神野博士の背中にカミナが声を掛ける。
「どうしても抜けられねぇ約束があるんだがよ」
「……宇津和さんちの嬢ちゃんかよ?色気づきやがって、ガキが」
「な、んで?」
 父親の答えにカミナがびっくりする。そんな話の欠片すら口にした事が無く、巨大ロボ製作に没頭するこの父親がとてもそんな事を気に掛けるような性格には思えなかったので。
「んなモン端から見てりゃ分かるっつの。一応お前の親だしな」
「う…」
 神野博士が振り返り、詰め寄ってくる。
「でもな、お前あの子は大グレン団に関わりがねぇんだ。話してもいいが、手前ぇの母親みたいに巻き込まれておっ死んじまうかもしれねぇ覚悟はできてんのか?」
 物言わぬ母親の遺体に縋った記憶が甦る。
「云わねぇ、大グレン団の事は一切云わねぇ。ただ、ちっと用事があるから、少しだけ待って欲しいって、それだけ云いてぇ」
「そりゃ殊勝なこって、待てねぇって云われたらどうすんだ」
「仕方が無ぇ。すっぱり忘れてやらぁ」
「俺は振られるのを祈るぜ」
「クソ親父が」
「お前のあの娘は勿体無ぇからな。午後の一時間だけ許してやらぁ」
 神野博士は不敵に笑った。

 いつもの日課と神野博士からのリクエストにカミナはたっぷり二時間を費やした。
「今日中にグレンラガンを学園基地に移送する」
 総てチェックし終え、今度はスルメを噛みながら神野博士は告げた。
 ありったけの食料を上から持って降りたので、シモンの好きな某栄養補助食品を口移しで与えていたカミナは少々間抜けな返事をする。
「えあ?」
「…って、おまっ、何やってんだ!!」
 サイズが違うとはいえ、愚息のベロチューを目の前で見て、神野博士は思わずスルメを床に落とした。
「シモンのエサ遣り。さっきこうしねぇと食わないっつったろうが」
 カミナの舌に嬉しそうに口を寄せるシモンを見遣って、神野博士は再び頭を抱える。
「…のヤロー…なんつうモン送ってきやがったんだ」
「シモンを送ってきたヤツ、分かるのか?」
「そいつも後で説明してやる、話すと長くて面倒臭ぇんだよ」
「今教えろよ、一発ぶっ飛ばしに行ってやる」
「無理だ」
 なんでだと反発する息子の頭を張り倒す。
「うるせぇ、バカップルみてぇな様子を俺に見せんな、気色悪ぃんだよ」
長年親子喧嘩を日常的に繰り返していたカミナは父親の平手を受けつつも、口を寄せてたシモンを器用に庇う。
「あにすんだよ、シモンに噛み付くとこだったじゃねぇか」
「アニキに手を出すな!」
「シモン?」
 珍しくシモンが語気を荒げた。
「あに生意気云ってやがんだ、小人のクセしやがって!」
 神野博士の大声に震え、目に涙を溜め、カミナの手にしがみつきながらも、シモンが神野博士に敵意を表したのにカミナは驚く。
 一人前に男らしい事をしているシモンに、自分のサイズも顧みず兄貴分を庇うとは、とカミナの男気も燃える。
「親父でも俺の弟分をバカにすんのは許さねぇ!」
 そうして始まった、時々拳が交わされる口喧嘩が地下格納庫に響き続ける。
「おら、時間だ、さっさと登校しやがれ、馬鹿息子」
「げ、遅刻じゃねぇか、さっさと云えよクソ親父!!」
 気が付くとそんな時間で、カミナは睡眠時間を削られた事を神野博士に怒鳴りながら、地上に駆け上がった。


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