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 幼馴染が登場するエロDVD並みのピンク色な夢を見た。
 こんな都合のいい展開はありえないと思いつつも、どんどん甘い展開が繰り広げられるのは、ストレートに好きだと言い出せない現実が続いているせいだろうか。
「…ん……にゃ…ヨー…コ…」
 男なら至福を感じる繋がった柔らかい感触は、一人の寝床(正確には+一匹)の目覚めをいっそう虚しくさせる。しかも持て余し気味な男の生理だけはしっかり残して。
 未練がましく夢でみた感触を脳内で反復し、熱を孕むモノに手を伸ばしかけると、鳩尾の辺りに不穏な動きがある。
 シモン、だ。
 普段はだいたい俺の髪の間で目を覚ますくせに、今日のこの状況でそんな位置にいるとは何事か。しかもお前、下に移動してやがりませんか?てか、なんでそっちに行こうとする?俺が腕を動かしたから?待て待て待て待て!!
 血の気が急速に上がって下がり、一気に目が覚める。
 腹の辺りで蠢く小人を摘んで枕に放り出し、部屋を飛び出した。
 とりあえずトイレ…いや、シャワーを浴びて色んなモノを鎮めてこよう。
 閉じた扉から小さい泣き声が聞こえるが、無視。
 弟分にマスかいてんのをご披露なんざ御免被りたい。
 ああ、本日も無駄に晴天なり。


 二時限目までは、何事もなく過ぎた。
 シモンは早朝に泣いた事で疲れたのか、カミナの胸ポケットで眠り続けている。このまま大人しくしていてくれよと祈るカミナは、昨日の『理事長連続呼び出し』による普段以上の興味の視線を一身に集めていた。
 聞こえよがしな退学やらの噂は屁とも思わなかったが、視線が多い分、胸に隠し持つ小人の発見率は確実に上がる。シモンが突拍子もない行動に出る可能性も無くはない。多少可哀相とは思うが、朝から泣かせたので眠り込んで大人しくしてくれているこの現状は上首尾だ。
授業もちゃんと2時限目まで受けたし、面倒事が起こる前に、さっさといつもの屋上に避難しよう。
 都合のいい理由に納得し、次の休み時間に教室を離れる。
 屋上への扉を開きかけて、階下に人の気配を感じる。下階を見ると赤い髪がちらりと見えた。新聞部部長は、自分にしたい質問をきっと山のように抱えているのだろう。真面目な生徒がサボリとは。
 扉を閉じて、素早く階段室の裏側に回る。程なく扉の開閉音がして、階段室の上、カミナのサボリ定位置へハシゴで上がる音を聞いてから、カミナは音を立てずに階段室に戻った。
(ばっきゃろー、お前の行動なんざこちとらお見通しだっつーんだ)
 そのまま階段を降りて隣棟に移り、廊下の端の物置へ向かう。掃除用具やら、折りたたみの椅子やテーブル、古い生徒用机が雑然と置かれた小さい部屋は二番目のサボり場所だ。教室群から離れているせいか、滅多に人は来ない。
 机を並べその上に寝転ぼうとして、近づいてくるの足音に気が付く。軽やかなそれは間違いなくヨーコ。
 仕様が無く今度は窓から逃走を計る。この物置は2階にあったが、この程度の高さはカミナには許容範囲。
 難なく着地し、次の場所を探して走りだした時、窓からヨーコがカミナを見つけ睨むとすぐに顔を引っ込めた。まだまだ追跡は続きそうだ
 三番目のサボリ場所の職員宿直室に走り出したカミナのポケットから、シモンが顔を出し寝ぼけ眼をこする。どうやら今の着地の振動で目が覚めたらしい。
「カミナ?」
「カミナじゃねぇ、アニキって呼べ!!」
「あにき…」
 言い直しはしたが、目はまだ半分閉じている。
「もちっと寝てろ、シモン!」
「…ん…」
 カミナの無茶な要求にも、シモンは素直に従いポケットに潜って大人しく眠った。
 走る振動も小人には結構大きいはずだが、これで眠れるとは中々肝っ玉がデカイじゃねぇか、とカミナは小さい弟分に感心する。
 それくらいの寛容さを持ち合わせてないとカミナの弟分にはなれない。そういう意味ではシモンはカミナと相性が良い。
 地下基地に逃げ込みたいが、追ってくるヨーコに秘密出入り口をばらす絶好の機会を与えてやるようなものだから、その案は即座に却下。こりゃいっそ校外に逃げた方が良いと判断して、裏門に逃走経路を変更する。校外なら真面目なヨーコもそれ以上追っかけてはこないだろう。
 が、裏門に辿り着いた時、カミナは舌打ちをした。ヨーコが先回りをして立ちふさがっている。
「幼馴染舐めんじゃないわよ、あんたの行動パターンなんてお見通しなんだからね」
 勝者の笑みを浮かべる。
「俺の今日の学習時間は終わったんだよ、そこをどきやがれ」
「授業は2時限で終わりじゃない、普通は6時限目まであるの」
 先程の物置から持ってきたのか、掃除用モップの柄でカミナに襲い掛かる。言わずもがな、薙刀部の部長も兼任しているのでその腕前は非常に手強い。
「俺の中じゃもう今日のノルマは済んだんだよ!」
 襲い掛かってくるモップの柄をすんでのところでかわして、素早く塀を飛び越える。
「そんなだから、いつも進級ギリギリなんじゃない」
 それを追ってヨーコが塀の上に立つ。校外までは追いかけて来ないと思っていたカミナは、ぎょっと見上げた。
「偶には最後まで授業を受なさい!」
 鋭い打ち込みと共に飛び降り、詰め寄って来たヨーコの胸元が、カミナに今朝の夢をフラッシュバックさせる。反射的に不埒な妄想が脳内で展開したが、それを諫めるように、後頭部に重い衝撃が襲った。
「何すんだ、俺の巨乳ドリームの邪魔してんじゃねぇ!!」
 振り向くと他校の制服を着崩した、見るからに不良が5,6人立っている。
「何それ?」
 うっかり漏れたカミナの言葉に、ヨーコが胸倉を掴んで来るので、ワザと不良達に向き直る。
「どちらさんでしたっけ?」
「誤魔化さない!!今の発言の説明しなさいよ」
「ナンデモナイデスヨ、ヨーコサン」
「何よその棒読み台詞は」
「おい、こっちを無視すんじゃねぇ!!」
 漫才を繰り広げかける二人に、焦れた相手達が殴りかかって来る。
 カミナはシモンを気遣って学ランのボタンを締めつつ右へ飛び、ヨーコはモップの柄を構え直しながら左に飛び退った。
「ツラぁ貸して貰おうか、神野カミナ!!」
 拳を打ち込んで来たヤツを足で払い、つんのめった相手の後頭部に右肘を打ち下ろす。
「授業中だからヤダ」
「さっきまでサボらせろって豪語してたのに」
 ヨーコもモップの柄で襲ってくる相手に応戦しながら、ボケるカミナへのツッコミは鈍らない。
「この前の借りを返させて貰うぞ!!」
 頭ひとつ高い相手のパンチを屈んで避け、相手の腹に頭から突き上げ投げ飛ばす。
「なんかその言い掛かりは、不良っぽいな」
「明らかにそうだよ。何?あんた、また他校生と乱闘したの?」
振り下ろされたバットを右手で受けてこちらへ引き、体制を崩した相手に腹に膝で蹴り上げる。
「…心当たりは山ほどあるから、んなモンいちいち覚えてねぇ」
「俺達はなぁ」
「カミナに思い出させようとしても無駄無駄。こいつはハナから覚える気ないもん」
 カミナとヨーコの反撃にたじろぎつつも彼らは名乗ろうとしたが、ヨーコがばっさり切り捨てる。
「憶えてはねぇが、ケンカ売られてんのだけは分かった!!俺は安売りはしねぇが、ケンカならどんなヤツでも買ってやらぁ!!」
 相手のナイフを右足で蹴り払って、後ろ向きに身体を捻り左足で相手のこめかみに蹴りを入れる。
「もう買い終わってるわよ。これが最後の一人!」
 カミナを背後から襲おうとしたヤツに、ヨーコがモップの柄で鳩尾を突く。
「後ろがガラ空きよ。いつも誰がフォローしてると思ってんの!!」
「さっすがヨーコだ」
 頼もしい幼馴染を振り返る。
「お、憶えてろよ」
 あっという間に伸された輩は、古典的捨て台詞を残してほうほうの態で逃げていく。
「もっと気の利いた捨て台詞云えないのかしら」
 逃げていく輩を呆れながら眺めるヨーコにカミナは少し見蕩れる。いつも自分のせいで巻き込まれる喧嘩をものともしないその腕っ節の強さも、お前は俺の母親かと思うほどのおせっかいも、発育の良いスタイルやこっちが戸惑う程の露出のわりにそれを自覚していないところも、その全部に惚れている。
「平気か?」
「あんたと違って怪我なんかしません」
 ナイフがかすったのか、カミナの頬に一筋流れる血を、ヨーコは溜息を零しつつ拭ってバンソウコを張ってやる。
「用意がいいな」
「無鉄砲な幼馴染を持つとこういう習慣がイヤでも身につくの」
 呆れた口調でそう云うが、6人いた不良の内、身体が大きい者とエモノを持った物をカミナが相手をした事にヨーコは気付いている。ただそれを言葉に出して礼を云うのは照れくさい。だから次に出た台詞は新聞部の取材として必然なのだが、本人の照れ隠しが過分に含まれていた。
「それより、昨日は理事長に何度も呼び出されてたけど、何だったの?」
 そんなヨーコの照れ隠しに気付かないカミナは言葉に詰まる。
昨晩からそのこたえを考えていたけれど、名案は思い浮かばないまま。さてなんと誤魔化そうかと、カミナは頭を掻いた。
「退学、の話じゃないよね?」
 焦れたヨーコが詰め寄る。
「ああ」
(あんまり近づくな。はっきり云って至近距離でそのセーラー服の胸元は凶器だから)
 ここでニヤけて平手を喰らわないようにと、視線を逸らす。
「あの、…携帯に映ってた子の事で問題起こしたとかでもない、よね?」
「ああ?」
 カミナには予想外の発言に声がワントーン上がる。
「無理やり襲った、とかしてないよね?」
「いつから俺はロリコンだ?お前、この前それを思いっきり否定したろうが」
「だって、カミナが携帯に女の子の写真入れてるなんて!待受け画像も設定出来ないヤツがそんな事してたら誰でも驚くわよ」
(確かにヨーコの写真さえ入れてねぇけど)
 携帯に映っていた少女を見た日、ヨーコは悔しくて眠れなかった。カミナの無茶苦茶さ加減に付き合えるのは自分だけだと思い、それとなく互いを想いあっていると信じていた関係が崩され打ちのめされた。
「ほ、ほら、デキちゃったのか、とか想像しちゃうじゃない。その…理事長の呼び出しだから、大問題で……あの子が…妊娠、とかさ」
 ヨーコが視線を逸らしながら歯切れ悪く言った。
 飛躍した発想だと自分でも思うのだけれど、携帯といい呼び出しといい、心中穏やかでない状況に叩き落されて、そんな台詞も口をついて出てしまう。
 カミナが自分にとって大きな存在なのだと改めて思い知らされた。
 だからこの想像が本当ならどうしようと内心怯えながら、ヨーコは唇を噛む。
「ありえねぇ!」
(シモンは男で小人だ。理事長に呼び出されたのは確かにシモンの事だが、そういう問題じゃねぇ。ってか、お前の俺を見る目に驚くわ。幼馴染をそんな風に見てたのか?)
「じゃ、じゃあ何よ」
 カミナの否定の強さに縋るようにヨーコが顔を上げる。
「あいつは…最近知った、死んだお袋の遠縁つうか、ほとんど他人みたいな親戚だ!! そいつが学園祭の時に女装喫茶をしたからって、ふざけて送ってきやがったんだよ」
「おばさんの親戚?……女装って、あの子、男の子?」
 強い否定に続く台詞の前半部分はあからさまに怪しい。旧知にそれは眉唾ものだが、後半部分は煩悶しているヨーコには朗報で、表情が少し緩む。
「じゃあなんであの時そう言ってくれなかったのよ」
「撮って送って来たのがソイツ自身じゃなかったから、男が女装だのなんだのほいほい云いたか無かったんだよ」
 疑う余地は充分にあったが、カミナが言い訳をしているのは、自分を恋愛の対象と見てくれているからだと思い、今回はそれを信じることにする。
「な、んだ…そっか…」
 何かを堪えて少し微笑んだヨーコに、カミナは(今更だが)嘘を吐く後ろめたさと、怪しい言い訳を信じてくれたヨーコへの想いがこみ上げた。が、続く台詞にたじろぐ。
「じゃあ何度も理事長に呼び出されたのはどうして?」
 自分の中の不安がある程度消え、幾分か冷静さを取り戻したヨーコは、新聞部部長の本来の辣腕を発揮させる。
「それから、他にもあたしに隠してる事あるでしょ?」
 ええ、そりゃ山程。ありすぎてどれがバレたのか分からないくらい。
 先月の校内オバケ騒ぎは自分の仕業だとか、女子更衣室が覗けるベストポジションを発見したとか、小人を飼育し始めたとか、学校の地下に秘密基地があって自分が巨大ロボットのパイロットとか。
 押され気味のカミナに、やはり焦れてヨーコは先に口を開く。
「あんた、おじさんが出張しているのをあたしに隠してたでしょ」
「親父?あり、云ってなかったか?」
「酒屋さんがいつも夕方にお酒を買いに来る博士が、今週はちっとも来ないって云ってた。調べはついてんのよ」
 親父、その行動パターンはどうよ?不良中年にツッコミを入れたい。
「カミナが一人って分かってたら夕食くらいウチに食べに来させたのに」
「ガキじゃあるめぇし、メシくらいどうとでも出来るっての」
 1回不貞寝をして食事を抜き、インスタントとコンビニ飯のいい加減な食生活だが。
「そうだけど!…心配じゃないバイトで忙しそうだからちゃんと食べてるかなとか、あんたは放っておくと、学校サボってバイトばかりして、あちこちでケンカしまくって、勝手に怪我をして、あたしに心配ばかり…」
 そこまで捲し立ててヨーコは赤くなり、慌てて話題を軌道修正する。今日は心情が口に上りやすい。
「じゃなくて、おじさんの事よ!出張先で何かあったから理事長の呼び出しが何回もあったんじゃないの?理事長があんたは家庭の事情で帰ったって言ってたし」
 それは上手い言い訳だと、カミナはヨーコの憶測に乗ること即断した。
「…まあ、そう、なんだけどよ。クソ親父の野郎が向こうで事故に巻き込まれやがって、理事長が経過を知らせるのに、現地から連絡が入るたびに一々呼び出しやがんの。それがうぜぇから家に帰って連絡を待ってた」
「おじさん、無事なの?」
 神野博士はたまに紅蓮学園で特別講習を開く。理事長と頻繁に親交があるように見せて、大グレン団がらみで学園内をふらついてても怪しまれない為に。
「大丈夫だ。無事って連絡があったぜ」
 これで呼び出しの件は切り抜けたと思うが、後で関係者に口裏合わせておこう。理事長はこの辺は見越してヨーコに家庭の事情って言いやがったのか?
「良かった」
 出て行ったきり連絡がないあのクソ親父なら何事も無く、間もなく帰って来るだろう。
 間もなくと気付いてカミナは焦った。
 神野博士が帰ってきたら、それこそヨーコと二人で会う時間は無い。グレンラガンの完成は目前で、それに専念せざるをえない。
 左胸のポケットも動き始め、こちらもタイムアップを告げている。
「ヨーコ、明日の午後、この前の借り返す」
「え?」
「月曜にすっぽかした分の埋め合わせ、するっつってんだよ」
 ヨーコの目が大きく見開かれてからゆっくりと嬉しさに変わっていく。
「うん、ありがと」
 眩しい笑顔に、明日こそは自分の気持ちを叫んでやると、心で拳を握り締めたカミナの携帯が震える。
 学校をサボるなら、神野家の地下に来るようにと、リーロンからメールだ。
 タイミングの良さに、やっぱり監視システムか何かで見てやがったのかと、携帯を握り潰しそうになる。
「わり、バイトに行ってくらぁ。不良親父を持つと息子は生活費を自分でかせがねぇとな。お前はさっさと授業に戻れよ。…その、明日、な」
「うん、明日ね」
 塀を乗り越え学園に戻るヨーコを見届けてから、カミナは学ランの前を寛げる。シモンがぷはっと息を吐き出しポケットから顔を出した。
「怪我は無ぇか?」
 ケンカの時、胸の小人を一応気遣って左腕はガードに専念した。
「アニキ、心臓、ドキドキ、してる」
 耳だけでなく全身をカミナの胸にぺたりとつける。
 ケンカのせいではない。ヨーコに色々問い詰められ、デートの約束をしたからだ。
 自分の性格上、さっさと告って抱き締めたいが、背負っているモノが中々それをさせてくれない。大事な幼馴染を戦いに巻き込みたくないから慎重にもなる。
 だがもう我慢の限界だ。きちんとアイツに自分の気持ちを伝えたいし、伝えないといけないだろう。
 まだ全ては話せないが、ちっと大仕事が控えてる。さっさと済まして帰ってくるから、少しばかし待っててくれるか?
 この前、そう告げるはずだった事を明日こそはきちんと伝える。
「苦しいの?」
 シモンが眉根を寄せてカミナを見上げる。
 こんな小さな弟分に心配されるとは情けない。
「なんでもねぇ。こんなトコでグダグダしてる訳にはいかねぇんだ。ここは一発ドカンと決めてやる。見てろよ、シモン」
「うん、アニキ」
 分かっているのかいないのか、小人の返事は嬉しそうだ。


 自宅の地下格納庫に降りると、制御パネルに向かうリーロンがいた。
 シモンがポケットから這い出て、カミナの肩に登り、暗い格納庫に佇むグレンラガンに呼びかける。
「グレンラガン」
 気付いたリーロンがカミナを手招き、ディスプレイに数値を表示した。
「お帰りなさい。早速だけどこのデータの説明をしてもらいたいわ」
「あ?……こりゃ昨日一昨日の早朝日課分じゃねぇか。なんの問題もなかったぞ」
「そう、問題が無いのが不思議なのよ。今までずっと途中でシャットダウンしてたでしょ」
「?」
「この三日間、搭乗中にシャットダウンは無かったでしょ」
「あ」
「この説明出来る?」
 シモンがグレンラガンに乗らないのかとカミナの耳を引っ張る。それを宥めつつ何か変化はあったかと思い出そうとする。
「10p厚の宿題を貰った後だよな、何か新しいプログラム入れなかったか?」
「入れてないわ。分析結果は出たけど新しいプログラムはまだ構築中よ」
 ディスプレイに文字列が流れる。
「見せられたってどのくらい進んでんのかも分かんねぇ」
「あんたは気力と体力担当だからね」
「重要な役目だろ」
「そうね、でも多少理解出来たら、自分で動かしやすいように自分で出来るのに」
「っせぇ、プログラムなんざ作れなくても、俺とグレンラガンは神野ジョー作って意味じゃ血より濃い絆で結ばれた兄弟なんだよ、気持ちじゃとっくに一心同体、テッペリンなんざ蹴散らしてやらぁ」
「はいはい、それはもっとデータで実績上げてから云って頂戴」
二人の応酬に機械的な声が割り込んできた。
「動作プログラムを神野カミナヴァージョンに変更」
 抑揚の無い声はカミナの肩の上から発せられている。
「シモン?」
 シモンがディスプレイを見詰め、プログラムを喋り始め、リーロンが気付いた様にシモンが喋るままをキーボードで打ち込んでいく。
「修正プログラム?いえ、修正を当てずに、ここの命令系統を分けるの?でも…これじゃ補佐プログラムがいる…でも、この方がエネルギー効率に無駄がない…うーん…あらそれにこれ…」
 リーロンが小さく呟きながらプログラムを叩く。
「何がどうなってんだよ、」
 無表情でシモンは喋り続ける。ディスプレイに文字列が流れていくが、それが先程とどれくらい違うのかカミナにはさっぱり分からない。
 やがてシモンの声とキーボードを叩く音が止まる。
「面白いわ、シモンが叩き出したこれ。もう一度チェックするけど、多分これ採用になるんじゃないかしら」
 リーロンが思慮深い目でシモンを見詰め、カミナは大げさに感心する。
「すっげぇな、いつの間にこんな事が出来る様になりやがったんだ兄弟!!」
 カミナが指でシモンの顔をぐりぐりと撫でると、小人の顔は無表情からいつものへにゃりとした笑顔に戻り、その笑顔のままカミナの肩からすべり落ちた。
「シモン!!」
 掬い上げると、ぐったりとし、異常に熱い。
「ちょっ、どうした兄弟、しっかりしろ!」
 慌てるカミナを余所にリーロンはバックヤードから保冷剤を取って来て、それを枕にシモンを寝かせた。
「どうしたんだよ」
「知恵熱よ、きっと」
「頭使いすぎて熱出すあれか?」
「その表現は間違ってるけど、まあ今のシモンの状態ではそうとも云えるかも」
 知恵熱は生後半年から一年の乳児が発するもので、それが乳児の知恵がつく時期にでる症状だからそう呼称される。普段使わない脳を働かせたから発する症状ではない。
 卵から孵って外界に慣れ、喋るようになったこの時期が、小人の知恵熱発症の時期ではないだろうか。今、巨大ロボットのプログラミングをし、脳細胞をフル活動させたという意味で知恵熱と呼んでもおかしくはないけれど、とリーロンは思った。
「このままで熱は治まるんだろうな?」
「多分ね。でもちゃんと看病してあげて。この子は特別仕様だから」
 胸のポケットに入れたままケンカの激しい動作で揺らしたから、体調が悪くなったのかもしれないと少しばかり反省しながら、頭から湯気を上らせているシモンを抱える。
「上がっていいか?」
「勿論。シモンを看病してやって頂戴」
 荒事に強い手が小人を壊れ物のようにそっと抱え、自室に上がる。
 自分のベッドに横たえると、熱に浮かされながらもシモンがカミナに両手を伸ばす。
「アニキ…」
 縋ってくる様子に憐みを憶えて、自分も隣に寝転び添い寝してやる。
「側にいるから、寝てろ」
 小さな額も頬も吐息も熱い。カミナは指先を保冷剤で冷やしてシモンの額にあて、熱くなれば又指先を冷やしてシモンにあてるを繰り返す。
 何か喋ろうと口が動くので、顔を寄せると口に吸い付かれた。
 小さく熱い手がカミナの唇を開かせ、水分が欲しいのか舌に吸い付き唾液を飲む。
 不安だからくっつきたがるのだろうか、相変わらずのキス魔にカミナは欲しいだけ唾液を分けてやった。
 熱にうかされた赤い顔が少し和らぐ。
 つくづく、不思議な生物だとカミナはシモンを見下ろす。
 誰が作ったのか、何故自分あてに届いたのか、何のためにこの小人は存在するのか。
 赤ん坊を産み妻に先立たれた男の心境…、いや、身に覚えのない赤ん坊をつきつけられて『あんたの子供よ』と言われた男の心境…、いやいや、クソ親父がある日連れてきた腹違いの兄弟。そんな所か。
幼馴染との間に小さく大きな壁を作るトラブルメーカーだが、自分一人に懐いているので、見捨てるわけにはいかない小さな弟分。
 明日は大人しくしていてくれよと思いながら、額を冷やしてやる。
 暫くして寝付いたシモンの横で、カミナもうとうとと転寝をした。
 昼に目を覚ましたが、シモンは眠り続けたままだ。
 熱はやや引いたようだが、まだ全体的に熱い。
 そっとキッチンへ降り、シモンが好むショートブレッド形の栄養補助食と替えの保冷剤を手に部屋に戻る。足が速くなるのは、自分がいないと泣き出すシモンを案ずるからだ。
 離れると何故だかすぐに気が付いて泣き出すから油断ならない。
 案の定部屋に戻ると、発熱を増進させるように泣き、ベッドの上を這いずるシモンがいた。
 今朝も同じ事をしたせいか、カミナは絆され、そっと抱え上げて頭部を冷やす。
 手の掛かる弟分だと溜息が出る。
 もっと男らしく育ててやりたいが、如何せんまだ生後五日目。仕方がないかと、小さな弟分をあやす。
 泣き止むのに小一時間、ぐずるのをあやして食事を与えるのにも小一時間。
 男だからぴんとこないが、育児中の母親とはこんな感じなのだろうか?
 ようやく熱が引いたのは、日が沈む頃だった。思うより時間が掛かったせいか、静かな寝息を立てるシモンにつられるように、カミナも隣で眠りに引き込まれた。
 夜の帳が静かに寝息を重ねる二人の上に広がり、数時間が流れる。
 頬に冷たい風が当り、カミナは目を覚ました。
 隣を見ると、シモンがいない。
「シモン!」
 慌てて起き上がると、すぐ側の窓から返事があった。
「アニキ」
 月明かりに照らされ小人が窓枠に立っている。
 シモンが開けたのか、窓から風が入りカーテンが大きく波打ち、小人を押しやる。
 窓枠の隅に追いやられ、今にも落ちそうなシモンを摘み上げる。
「もう大丈夫なのかよ?」
「大丈夫」
 いつものへにゃりとした笑顔を向けてくる。
「お前の大丈夫は中々信用出来ねぇからな。こっち来い、も少し寝てろ」
 摘み上げ、自分の額に小さい額をくっつけると、シモンがキスをしてくる。
「明日は大人しくしてんだぞ」
 いつものポケットの位置に潜り込む。
 心臓音が安心するのか、すぐに寝息を立て始める。
 再び眠りに就いた一人と一匹を、天空から月が見下ろしていた。


 シモンが綴ったプログラムを読み直すリーロンの顔は渋かった。
 このプログラムは今年始めに組み上がったばかりのグレンラガンをカミナが暴走させた時のものに似ている。初期暴走の結果現在は修正プログラムを入れているのだが…。
 シモンのこのプログラムは偏りすぎていないだろうか?それともこの変則的なプログラムの方がカミナの扱いは良いのだろうか?明日、一度試してみよう。
 静かにコンピュータの電源を落とした。


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