4 紅蓮学園校舎地下にある大グレン団基地会議室で、カミナは視線を集めていた。 昼間に喰らった左頬の平手痕がそんなに都合良く消えてくれるはずもなく、会議に出席しようと集まり始めた技術班の者達の視線がそこに集中しているのが分かる。そして肩に乗っかる不思議生物も注目されるのは致し方ない。 人気者は辛いよな、とカミナは自虐的に笑う。 そろそろ予定時刻という時に、理事長から今日は出席できないので、明日に延期か、支障がなければ進めていて欲しいとの連絡が入った。 「じゃあ先に皆には概要を、カミナは後で残って」 スクリーンに、ここ半年のグレンラガンの動作データが映し出される。 リーロンの説明を聞きながら、初めて搭乗した日を思い出す。今年の冬一番の最低気温をマークした夜明け前に、神野博士や技術班が大晦日正月なく組み上げた機体がとうとう完成し起動したグレンラガンは、カミナが勢いのままに操り、溢れるパワーを制御しないまま、盛大に接続端子と機器を引き千切り、格納台や地下施設一部、あまつさえ己の左腕と両足首間接をぶち壊して起動20分後にいきなり全機能が停止した。元のハッチに格納するのに丸一日掛かり、後、カミナは神野博士の鉄拳と技術班に半日説教を喰らった。 あの頃から比べると現在の操縦技術と鋼鉄の兄弟の関係は格段に向上している。 肩に乗っているシモンは先程の説教と言う名の脅しが効いたのか、大人しく次々とスクリーンに映し出される数字やグラフに見とれている。けれど10分を過ぎる頃には、カクンとカミナの耳に凭れかかって寝息を立て始めたが。 言葉もままならない小人にこれは理解できるシロモノではあるまい。パイロットの俺でも半分も理解出来ないんだからよ、とカミナもアクビを噛み殺す。 「と、以上よ。やっぱり出力が不安定なのが気にかかるの。機体バランスのせいかも知れないから、他の部署ともコミュニケーションをとって原因を追究して頂戴ね」 小一時間で会議は終了し、技術班は持ち場に戻っていった。 「今の内容ならメールで回せばいい事なんじゃねぇか。ワザワザ大人数集めなくてもよ」 「あら、こういうのは全員が顔を会わせる事に意味があるのよ。コミュニケーションだって云ったでしょ」 「ふーん、そんなもんかね」 「さあ、じゃあ次はあんたの番だけど、その前に一息入れましょうか」 リーロンが理科実験器具にしか見えないサイフォンに新しいコーヒーを準備する。 「その痣、ヨーコでしょ」 聞かれるだろうとは思っていたが、単刀直入で早過ぎる。せめてもの救いはここに技術班がいなくなった事だろうか。 この鋭い人物に、恥かしい青春の1ページを隠し通せないのは分かっているので、昼の一件をあっさり白状する。 「あらあら、それはまた楽しい事。見たかったわ。でもシモンはちゃんと躾けて上げなさいね。今回は笑い話だけど、危険な事して目の前で怪我なんかされちゃイヤでしょ」 「ちゃんと叱ったぜ」 その顛末も聞き、食べられるという根源的な恐怖を使ったのがなんともカミナらしいとリーロンは笑う。 「昨日からは随分と進化したのね、シモン」 リーロンが急に顔を寄せたので、シモンは驚いてカミナの髪の中に隠れた。 「あら、私にはまだ慣れてくれないのかしら」 「お前のアップは誰でも怖ぇよ。それより、聞いて驚け!!コイツ、喋られるようになったんだぜ」 髪の中に隠れたシモンを摘み上げて、自慢げに掲げる。 「あら、ぜひ声を聞かせてもらいたいわ、シモン」 くねくねと身体をくねらせて、再び近寄ってきた額を押し返す。 「だから、顔引っ込めろよ、お前のアップは怖いって」 リーロンはサイフォンの様子を見るついでに渋々体を引いた。 「おら、喋ってみろ、シモン」 ツンとつついて言葉を促す。 「カミナ」 仕込まれたオウムのように素直に飼い主の名前を呼んだ。 「あらぁ、可愛い声ね〜」 リーロンがカップにコーヒーを注ぐ。そして沈黙。 「で、他には?それ以外には喋られないの?」 「んなこたぁねぇ!手前ぇの今持てる全力をババンと披露してやれ、シモン!!」 促すようにつつくカミナに向かってシモンが応える。 「カミナ、大好き!!」 自分の持てる全ての単語を叫んだ。 「あんた、なんて躾してんのよ」 「昨日から見れば格段の進歩だろう!!」 洒落ではなく真剣に恋人候補を育てている様で端から見るととてもイタい、と昨日着せ替えを散々楽しんだ人間が、自分の事は棚に上げて思う。 頭痛を堪えてサーヴされた香り高いコーヒーに、カミナは容赦なく砂糖とクリームをぶち込んだ。 香りに魅かれたのか、テーブルに降ろされたシモンはカミナが混ぜるマグカップを覗き込む。 好奇心が満ち溢れた小人の先手を打って、カミナはティースプーンに甘い液体を掬い、シモンの口元に差し出す。興味津々で今度はマグカップにダイヴして全身火傷は避けたい。 「熱いから気ぃつけろよ」 しかし差し出したものに小人は首を傾げる。 「飲むもんだよ、これは」 自分好みに仕上がった、やたら甘いコーヒーを飲む。 「お前、これは液体だから直接飲めよ」 ティースプーンに掬った分を、こうするのだと飲んで見せ、新たにコーヒーを掬ってシモンに差し出す。 納得したのか、シモンは差し出されたコーヒーを一口飲み、熱さに驚きつつも全て飲んだ。 「直接ってどういう事?」 「コイツ、食べ物は自分で食わねぇんだよ」 「言ってる意味が分かんないだけど」 「こんな風にしか食わないって事だよ」 丁度出されたクッキーを口に放り込み、咀嚼してシモンに舌を突き出すと、シモンがそれを口にする、という朝と同じ行動をした。 「ってこった」 「あんた、本っ当になんて躾してんのよ」 リーロンが盛大に眉を顰めた。カミナは雛にエサを与えると思っているようだが、端から見ると、エロゲームの成分を過分に含んでいる光景にも見える。 「俺も好きでこんなエサのやり方してんじゃねぇよ。これでしかモノを食べねぇから仕方ねぇだろう」 クッキーを直接シモンの口元に持っていったが、やはり朝と同じで口を開かない。 「乳幼児と同じで流動食から始めましょうって事?どういうプログラム組んでんのかしら…」 甘味が気に入ったのか、自分の口元に差し出されたクッキーをカミナの口元に持って行き、ぐいと差出してシモンは次を要求する。 「風呂にはイヤがらねぇし、褌の締め方とかは一発で覚えやがんのにな」 「フンドシ?」 「下着がねぇから、代わりに教えてやった」 「やだ、見たい〜」 先程の眉を顰めた時の感想を即座にシュレッダーに掛けて、普通の人間では絶対に出来ない指の動きでリーロンはシモンに迫る。慌ててクッキーを放り出し、カミナの胸ポケットに逃げようと腕をよじ登った。 「っちょ、お前のその指の動きは生物全ての脅威だからやめろっての。見せるだけだぞ、シモンに触れんじゃねぇぞ」 「何よ、場末のストリップじゃないんだから」 腕に縋りついているシモンをテーブルに降ろし、小さいベルトを器用に解き、ハーフパンツを脱がせる。されるがままのシモンは不安げにカミナを見上げる。 「胸を張れ、シモン!!お前の褌はこのカミナ様直伝だっ、堂々と拝ませてやれ!!」 飼い主の掛け声に励まされ、リーロンに向かい腰に手を当て仁王立ちする。 「きゃ〜可愛いわねぇ。くるっと一回転して、そうそう」 後ろ向いたシモンの上着をぴろっとめくる。 「やだやっぱりT-バックみたいなのね、可愛い〜。カミナにしては良いアイディアなんじゃない。じゃあ下着を作る必要はないかしらこれで充分だものね」 シモンの上着を捲っているリーロンの指を払い、カミナはシモンにハーフパンツを履かせた。自慢気に見せびらかしたのを少しだけ悔やむ。男らしさを強調したはずなのに、着せ替え人形遊びに加わってしまったような気がする。 「応、男らしくていいだろう」 だから『男』を強調しておく。 「靴は明日にでも作ってあげるから待っててね。さて、お遊びはこれくらいにして」 「目と手は超真剣に観察してたクセに」 「出力の安定が悪い話なんだけど」 突っ込みが軽くかわされたので、それ以上はカミナもふざけるのを止めた。 「それは、俺との相性が悪いからなのか、それとも俺の腕が未熟だからなのか?」 カミナは組み始めの頃からグレンラガンを兄弟と呼ぶ。父親が製作し、生死を共にする機体を、血の繋がった弟の様に誰より可愛がっている。 「神野博士の設計で、息子のあんたに合わせて作っているのよ。あんたが云う理由では絶対にない。大丈夫、キチンと帳尻は合すわ。制御が上手くいかずに倒れるなんて絶対にさせない」 言い切った態度には静かな威圧さえ漂わせたが、次の台詞には不安が滲んでいた。 「神野博士、お出かけになる前に何かあんたに言ってなかった?」 「朝の日課はサボるなっていつもの口癖だけ残して行きやがったぜ、なんかあんのか?」 「いえ…」 「今回はグレンラガンの開発に関しての件じゃねぇって聞いてないのか?知り合いが亡くなったって言ってたぜ」 「……」 沈黙が訪れる。 「何だよ、はっきりしねぇな」 「……、出力の安定が悪いのは神野博士が一番解ってらっしゃるはずなんだけど、その対策を特に聞かされた事がないのよ。グレンラガンはもう何時実戦に投入されてもいい段階まで仕上がっているのに、これに関しては解決されていない。でも神野博士が焦っている様子もない」 「親父は秘策を持っているが隠しているって事か?」 「分からない。疑っている訳ではないけれど…、この課題は私では解けない」 趣味や性別には不信感が募る一方だが、技術と大人の分別に関しては絶対の信頼をおくリーロンの弱音を珍しく聞いた。 「大丈夫だ」 カミナは大きく胸を張り、拳を上げる。 「俺はクソ親父を信用してる、アイツが絶対なんとかしやがるよ」 「何それ、根拠のない説得ねぇ」 そう云いつつもリーロンの顔には安堵が戻った。 「ありがと、カミナ。じゃ、これ明日の朝の課題。ちゃんと全部こなしてグレンラガンのデータ取ってね」 「ちょっ、おま、これ全部かよ!!」 厚さ10センチの紙の束を渡される。 「物理のレポートも早く出さないと、留年させるわよ」 バカヤローとカミナの叫びが基地内に響いた。 |