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 午前五時。
 いつもの習慣で目を覚ますと、目の前に小人が寝ていた。
 俺のすこぶる悪い寝相によく潰されなかったな、と、やっぱり昨日の事は現実だったのかと、ぼんやり思う。
 続いてやってきた空腹感に今度は意識がはっきりと目覚める。
 結局、昨晩はヨーコからの携帯を切ってすぐに不貞寝した。という事は昨日の昼から何も食べていない。そりゃ高校生男子にあるまじき事だと、起き上がる。
 腹の虫は五月蝿いが、日課を果たさなくてはならない。これを怠ると、父親の神野博士から鉄拳が、リーロンから言葉による精神攻撃が、理事長の泣き落としが、三段構えで待っている。
 起きる様子のないシモンにシーツをかけて、カミナはそっと地下に降りた。
 長い階段を降り、指紋と角膜認証をして、馴染み深い鉄扉を開ける。
 探さなくてもわかる照明のスイッチを入れると、高い天井の格納庫に紅の巨人が佇む。
 神野ジョー博士作、ガンメン対抗人型兵器グレンラガンだ。
(頭にちゃんと顔があんのに腹にも顔があるって、何を考えて造ったのかね。親父が公共の仕事に就いてねぇのは日本のためにいい事だがよ)
 顔の付いた自動車や飛行機が溢れる日本。それはそれで楽しいか?いや、そんなモンが溢れる国に呆れてテッペリンが武力侵攻を止めればそれはそれで役に立つか…。
 くだらない事を考えながら、グレンラガンとコードで繋がっている計器のスイッチを端から入れ、機動の手順を踏んでいく。始動の低音が地下の格納庫に満ちていく。
 スタンバイの表示を確認してから、腹の位置にあるコクピットに乗り込む。
「よう、気分はどうだい、兄弟」
 ハッチが閉じ、スクリーンが展開して格納庫が映し出された。駆動音にしばらく耳を傾ける。
操縦桿を握り、コードにまだ繋がれたままの右アームをゆっくりと上げ、肩、肘、手首、指先の間接の動きまで確認していく。次いで左手。そして脚部、全身。
 一昨日不安定だった出力も今日は静かに推移している。
(この分なら親父が帰ってくる頃には他のプログラムも入れられるな)
 グレンラガンが組み上がったのは年明け間もなくで、それ以来、半年程実戦用プログラムのインストールと機体調整が続いている。
 動作確認を終え、元の位置に戻す寸前に、いきなりシステムがダウンした。手動でハッチを開け計器類を確認する。特に致命的なエラーは見当たらない。ただ不安定さが今の課題だ。
「頼むぜ、兄弟。男前なところ見せてくれよ」
 こん、と機体を叩く。
 今の記録をリーロンへ送り、スイッチを落としていく。この小一時間が毎朝の日課だった。
 長い階段を昇り切るころには、腹の虫が大合唱していたので、キッチンに直行して食卓においてあった食パンをそのままかじる。ヤカンを火に掛けたところで、気付いて二階の自室に戻った。
 扉を開けると案の定、細い泣き声とベッドの上を右往左往するシモンが目に入る。
「カミナぁ」
 姿を見つけて駆け寄ろうとベッドから転げ落ち、床に衝突する寸前にカミナの掌に掬われる。
「お約束だな、お前」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を拭いてやりながら一階に降りた。
 キッチンに戻る前に玄関から新聞と昨日回収しそこなった配達物を拾いに寄る。
 玄関の隅にシモンの名が記された手紙は見つけたが、卵の殻や卵を固定していた台座は見当たらなかった。慌てて踏んで壊したか。思い出そうとしたが、騒ぎの最中の事が思い出せない。
(どんなにテンパっていたんだ俺)
 キッチンに戻り、湯気を噴くヤカンから湯を注ぎ、インスタントスープを作る。かじりかけの食パンをそれに浸して口に入れる。
「ほらよ」
 テーブルに座らせたシモンに小さく千切った食パンを差し出す。
「食っとけ」
 口元までパンを持って行ってやるが、シモンは首を傾げて動かない。
「食うんだよ、こんな風に」
 育てる、とはよもや日常生活を教える所からかと思い、ぞっとする。
 パンを口に放り込み、咀嚼してみせる。
「わかったか?」
 シモンがカミナの肩によじ登って来て、頬を引っ張った。
「あだっ」
 思いの他、強い力に吃驚する。
「あにすんだよ」
 開けた口の中の咀嚼されたパンに、シモンが食らいついた。
 椅子ごとカミナがひっくり返り、シモンもそのまま落ちて目を回す。
「おまっ、どんな食べ方だよそりゃ!!このまま食えばいいだろが」
 目を回したシモンを摘み上げ、顔にパンを突きつけるが、それには断固として口をつけない。
 その上、目の前のパンを押しやりカミナに口を開けろと顔に張り付いてくる。
「本当に雛かよお前は!!」
 しかしその方法でしか食べないようで、早く次ぎを寄越せと、髪を引っ張り、頬をぺちぺちと叩いてくる。
 結局カミナは根負けして、咀嚼したものを舌にのせて与えるという、ひどく獣染みた事をさせられた。
 朝からどっと疲れが押し寄せてくる。
 掻いた脂汗を流そうと風呂場に行き、久しぶりに締めたサラシと褌をといた。シモンも真似をして、昨日と同じ生まれたばかりの姿に戻る。何をするかは分かっていないようだが、とにかく親鳥の真似をした雛と云うところだろう。
「目玉親父か小人ファンタジーのお約束だな、さて」
 裸のままキッチンに戻り、カップボードの奥から使っていないコーヒーカップを取り出す。茶碗を使うのは気が引けた。おそらく使っていない茶碗が亡くなった母親のものしかなかったからかもしれない。
 浴室でコーヒーカップに湯を入れ、シモンを浸からせる。カミナが全身を洗い、泡をシャワーで流すまで、シモンは大人しくカップの縁に頬杖をついて眺めていた。
「シモン来い」
 カミナが掌で泡立てたボディソープの中にシモンが嬉しそうに飛び込んだ。
「結構思い切りがいいな、お前」
 泡を掬い取り髪を自分で洗い始めたので、カミナはなるべくそっと身体を擦ってやる。きゃっきゃっと楽しげな声を上げてシモンは泡にまみれる。
 湯をかけ流し、小さい体をまじまじと見る。確かに普通の少年の1/10スケール。股の間にスイッチもなければ、背中にコンセントの差込口もない。唯一上げられる特異点は、目が大きい事くらいか。
「その割には黒目が小せぇよな。何をモデルに造型したんだか」
 脱衣所に戻ると、これまたカミナの真似をして体を拭き、昨日教えた通りに褌やサラシをきちんと身につける。
結構物覚えはいいなと感心する。
「ちゃんとサラシは巻いておけよ。腹を冷やさないようにな」
 ぽんと指で腹を叩くと、分かりましたというように、また小さいキスをくっつけてくる。
「……」
 唇にトンと触れ、ペロリと舐めてから離れていくシモンの小さいキスに、これがヨーコだったらな、と少しだけ妄想に耽ってしまう。
 男子高校生にありがちなそれを、廊下の古時計が、登校時間だと大きく鳴って掻き消した。
 散らかったデスクの上の教科書を一応カバンに詰め、はたと気が付く。
 この小人、学校に連れて行かなければならないのでは…。
面倒くさい、シモンが騒ぎを引き起こすのでは等々が頭の中に嵐が渦巻く。そして決断。
「シモン、お前ウチで大人しく留守番、出来るよな?」
意味がわからないと云う様にシモンは首を傾げる。
「夕方には帰ってくるから、ここで待ってろ」
 素早く部屋を出て玄関に向かう。自分の名を呼ぶ小さい叫びは敢えて無視。
 あんな不思議生物を連れて行けば騒動になるのは火を見るより明らかだ。それにシモンを上手く隠し通せる自信もない。
 門の所で振り返り部屋を見上げると、窓に張り付くシモンが見える。少しだけ罪悪感を感じて見ている間に、窓が少し開きシモンが緑青の屋根の上に飛び降りた。
「げっ」
 一直線、カミナに向かって走り下りて来る。
屋根の下がり勾配に勢いづいて、軒先からジャンプ!見事玄関の屋根に着地、のはずが失敗してごろごろと転がる。しかしそれにめげず何とか体制を建て直して走り続け、トップスピードに乗り、カミナに向かって再度ジャンプ!!
 なんかどっかのアニメで見た事あるぞこのシュチュエーション、と思いながら、カミナは手を伸ばして宙を舞うシモンを見事にキャッチする。カミナに辿り着いたのを確認すると、シモンはぴいぴい泣き出して首にしがみ付いた。
「わかった、わかりました。連れて行きゃいいんだろ」
 大人しい雛ではない事はわかりました。
「仕様がねぇ、ココで大人しくしてろ」
 学ランの下、Yシャツの胸ポケットにシモンを放り込んで、カミナは山頂の学園を目指した。


 自分の席にカバンを置くと、カミナは教室を離れ、立ち入り禁止の屋上に上がる。
 屋上階段室の上、学校で一番高いこの場所がカミナの定位置だ。教室にいる事は少ない。
「ヨーコにもう一度謝っといた方が良かったか」
 同じクラスなのに、顔も見ずに屋上に上がって来てしまった。
 ごろりと寝転んだカミナはシモンがやけに大人しいのに気付いて、胸ポケットを覗く。
 シモンは疲れたのか、まだ外界に慣れていないのか、カミナの胸ポケットで気持ち良さそうに眠っていた。
 暢気だなと思いながらも、自分も眠気に襲われそのままそこで午前中を過ごした。

 正確な腹時計と、近付いて来る足音に目を覚ます。
「出席日数足りなさ過ぎなんじゃないの、カミナ」
 寝転がったままのカミナに、ヨーコが影を落とした。
 スカートの下にブルマだかサポーターだか短パンだか知らねぇが、せっかくのこの角度が勿体無いと見上げる。これは校則で禁止する方法はないものかと思わず考えてしまう高校生男子17歳。
「んなもん、気合で進級してやらぁ」
「いや、それは無理だから」
 起き上がったカミナにヨーコはコンビニのサンドイッチやおにぎりが詰まった袋を差し出す。
「昨日は残念だったね」
「悪ぃ」
 取り出されたおにぎりを受け取り、ポケットから小銭をヨーコに渡す。金額が足りていなくてもヨーコは何も云わずに受け取った。
「食べよ」
 隣に座り、自分も袋からサンドイッチを取り出して頬張り始める。
「今日もバイト?」
「ああ」
 今日も今日とて大グレン団の技術会議とやらがある。出力が不安定なグレンラガンに対する検討だと、朝食時にリーロンからメールが入っていた。
 そうだ、シモンにもエサをやらないとそろそろ鳴き始めるんじゃないか、とこっそり左胸を見ると、学ランの下で小人がポケットから顔を出し、ヨーコをしげしげと見つめていた。
 見つかるだろ、とポケットに頭を押し込んだが、すぐにまた顔を出す。
「どうしたの、カミナ」
 ヨーコがごそごそするカミナに尋ねる。
「いや、なんでもねぇ。今日はちっと風がきついな」
 開けていた学ランのボタンをしめて、下を隠す。まだごそごそと動く気配がするので膝を立ててその動きを押さえ込む。
「そうだね。特にここ風通しがいいし」
 サンドイッチを食べ終わるとヨーコはジュースを飲むだけで、他のものに手をつけない。
「なんだ、たったそんだけで足りるのかよ、お前放課後の部活忙しいんだろ」
 趣味は部活の掛持ち。しかもほとんどの部長を務める。どれだけ凄いお嬢さんか。
「学食で先に定食を食べて来たんだ。これで足りる訳ないじゃん」
 けらけらと笑う。
(そうだろそれっぽっちで、そのでっかい胸は維持出来ないだろう)
 チラリとセーラー服に収まり切れていない胸を見る。
(高校二年でそれはデカ過ぎないか、いや、デカけりゃデカい程いいけどよ、一体サイズいくつなんだよ、いやサイズ教えるより、触らせていただきたいっ!!)
 脊髄反射で、妄想が展開していく。
 妄想に流される意識の中で、カミナは頭頂部に痛みを感じた。そこに手をやろうとする前に、何かが頭を蹴る。
 ジュースをカミナと反対側に置こうとヨーコが顔を反らせている。
 カミナの目の前をシモンが落ちて行く。
 スローモーションのように宙を舞うシモンの興味津々な顔が見えた。
「ひゃっ」
 見事にヨーコの胸の谷間に落ちたシモンを光速でカミナが掴み、自分の学ランのポケットに突っ込む。
「なに、今の?!」
 ヨーコが胸を押さえる。
(一瞬でしたが、ほんとうに一瞬でしたが、やわらかい感触を感じましたっ。でかした、シモン!!いや、なんて事しやがるんだお前。全身であの胸の谷間に挟まるって!!柔らかかったか?後で聞かせろ、言葉なんかとっとと覚えやがれ!!)
 右手の中でもがくシモンを押さえつけながら、カミナは顔がニヤけるのを止められない。
 自分の胸に一瞬挟まったゴツい感触。何故か右手を後ろに隠して締らない表情をするカミナ。
 ヨーコから怒りのオーラがゆらりと立ち昇る。
 触りたいなら触りたいって云いなさいよ。不意打ちは卑怯じゃない?あ、でも今のは例えだからね、実際は云そんな事云ってもさせないけど!! こんな人気のないトコでホントにアンタは雰囲気作りが出来ないっていうか、空気が読めないっていうか、バカっていうか…。
 ぐっと拳を固めるヨーコ。
「サイッテーー!!」
 青空に乾いた音が響き、屋上の扉が閉まる乱暴な音が続く。
 カミナの右頬は屋上の床と仲良く接触し、左頬には手形が浮かび上がる。
 無言で起き上がり、右手の中のシモンの無事を見ると、実に羨ましい事をしてのけた不届きな小人は、へにゃりとカミナに幸せそうな笑顔を向ける。
自分の胸を触って首を傾げ、カミナの固い胸板も触って不思議そうな顔をする。男女の体格差を認識しているとでもいうのか。
(昨日はあんなに自分以外の人間に対して恐れていたのに、今日はもう外界に興味津々、好奇心の塊かよ。ここの躾は飼い主である俺がきっちりとしなきゃいけねぇよな)
「シモン…、今度あんな事しやがったら、お前を食うぞ」
 ぱくりと小人の首から上だけを口に入れた。
 突然暗い口内に入れられたシモンはびっくりして悲鳴を上げる。けれどカミナは解放しない。自分の口内で十分間ほど泣かせてから、ようやく解放してやる。
「わかったか?」
必死で首を上下に振る。
「よし」
 それだけ云うとカミナはまた床に突っ伏した。
 この顔で午後の授業に行くのは格好が悪い。だからサボりを続行だ。
 放課後、リーロンに顔を会わす時には消えているのを祈りながら。


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