3 扉の軋む開閉音でシモンは目を覚ました。 「あの…」 遠慮がちな声が掛けられ首を向ける。その気配でシモンが目を覚ましたと感じた相手は近づいてきて、床に桶と布を置いた。 シモンとそう変わらない年頃に見える少年。長い黒髪を後ろで一つに括り、賢そうな額と静かな黒い目が、床に伏せたままのシモンに向けられた。 「これで、身体を拭って下さい。えと…、その、お手伝いした方が良いですか?」 ポンチョを被せられた下は、男の精液でどろどろに塗れたままの身体。同じ年頃の少年に見られたくなくて、シモンは寝たまま首を振る。 「え…と、でも、手がご不自由かと」 床との拘束は外れていたが、両手を拘束する枷がある限り、自分の全身を拭うのは叶わない。さりとて陵辱された身を他人に晒すのは、まだ残っている矜持が許さなかった。 「いい、自分でする」 「大丈夫ですか」 掠れた返答に、それでも手は差し出され、乱れた髪を梳いてくれるのだが、性的虐待から立ち直れないでいるシモンには、その手さえも嬲られるものに感じておぞましい。 拒絶の視線を向ける。強い視線に少年はそれ以上の行動に出られずに行き場をなくした親切な手が宙で止まる。 しばし訪れた気まずい沈黙を、乱暴に扉を開ける音が破った。 「おう、身体拭いてやったか、デコ助」 カミナがドカドカと入ってきた。 「デコ助ではなく、ロシウです」 自分の呼び名に抗議する少年も、身を竦めるシモンも気に掛けず、カミナは膠着状態の二人に近づく。 「あんだ、まだかよ。さっさとしろよ」 シモンの身体に被さっていたポンチョを剥いだ。 「やめろっ」 叫ぶのも虚しく、汚し尽くされた身体が曝け出される。 シモンは身体を隠そうとうつ伏せて縮こまり、ロシウと名乗る少年は真っ赤になり視線を逸らす。それに構わず、カミナは桶の水をシモンの全身に浴びせ布を投げつけた。 「拭け」 ロシウが恐る恐るシモンの身体を拭こうとしたが、一層強い拒絶の視線に制されて手を出せない。 「じゃあ勝手に風邪でも引きやがれ」 カミナはシモンの足首に鎖のついた新しい鉄枷を嵌め、鉄棒は外した。冷たく固い枷はやはり充分な重さでシモンの自由は拘束され続ける。 両足に新しい枷をつけ終わると、濡れたままのシモンをポンチョで包み、肩に担いでカミナは部屋を出た。 うつ伏せに担がれ、蹴られた腹がカミナの肩に当りシモンは呻く。 「痛ぇなら、女みたいに横抱きにしてやろうか」 からかう相手の背中を手枷で叩く。 「カ、カミナさん、待ってください」 ロシウが桶を拾い後を追う。せめてとばかりにカミナの背中で揺れるシモンの髪の雫を拭いた。 部屋を出ると、低く響いていた駆動音が通路全体を震わせていた。 狭い通路が果てた先は、大空間に広がる機関部で巨大なエンジンが眼下で唸りを上げている。その大きさに、自分が連れてこられた所が戦艦だと知りシモンは驚いた。 機関部の中心に向かうカミナに、いかつい技術者らしき男が声を掛けてくる。 「ソイツが開発したガキか、カミナ。後で俺にも楽しませろよ」 野太い声に、担ぎ上げられているシモンの身体が強張る。ロシウが目が大きく見開かれた。 「悪ぃがコイツは俺様がお前程度のモンじゃ満足出来ない体にしてやったから、お前は一人でマス掻いて寝ろ」 震えるシモンを肩から降ろし片足だけを担ぐ。股間の奥、散々嬲った穴を広げて見せつけた。抵抗もせずただ蒼白になっているシモンの反応に、カミナは哂う。 「カミナさんっ、破廉恥ですっ」 ロシウがカミナに制止の声を上げる。 「んだよ、いい精液便所が出来るって皆喜んでたのによ」 「ダイグレンの機嫌が直りゃどこでも行ける、そしたら好きなように外で遊んで来い」 拳を握り締めて睨んでくるロシを無視して、二人は大声で笑う。 慰み者として扱われる自分の立場に、シモンは奥歯を噛み締めた。 再びシモンを肩に担ぎ直したカミナは、エンジンの前で議論している一団に近づく。 「おう、どうだダイグレンの機嫌は?」 「ダイグレンの機嫌はもうすぐ直るけど、あんたのグレンの修理の方が大変よ。三日前メンテしたばっかりなのになんて壊し方するの。この料金は高いわよ」 特徴のある声にシモンが顔を上げた。 「あなた、リーロンさん?」 カミナの肩の上で何とか振り返り、声の主を確かめたシモンは驚いた。 彼(か、彼女)は、二日前に荒野で出会ったリットナー一行にいた技術者だ。 「あんた、シモン?」 驚くリーロンの横には、女だてらに賞金稼ぎをしているヨーコもいた。 「何で、ここに居る…」 ありえない再会の驚きは一つの疑惑に変わる。まさか、とシモンはリーロンとヨーコを睨む。 「あなた達はコイツの仲間なのか?だから姫様は襲われたのか?」 「襲う?」 「カミナ、あんたまさかあのお姫様を襲ったの?」 カミナに詰め寄ったのは、ヨーコだった。 「あいにくと逃げられちまったがな。戦果はこのガキだけだ」 悪びれも悔しさも表に出さず肯定する。 「師匠や皆を殺したくせに」 シモンが枷でカミナの背中を叩いたが、反応はない。 「リーロン」 ヨーコの怒りを孕んだ視線がリーロンを睨めつける。眉を顰めてその視線を受けたリーロンは溜息をついた。二日前リットナーに帰った時に、新しい対ガンメン砲弾の装備についてカミナから通信があり、その時の世間話で確かに触れた話題だが、はっきりと王族の姫が王都帰還中とは言っていない。 「お上品な女の子が荒野を旅してるとは言ったけど、それだけで察したって訳?」 カミナが片方だけ口角を上げたのを見て、リーロンはもう一つ溜息をついた。 「ごめんなさい。迂闊に、しかもカミナなんかに話していい事じゃなかったわね」 大グレン団などと名乗り、賞金を賭けられながら未だに捕まらない男なのだ。自分の失敗に首を振り、取引相手の評価を修正した。 「でもお姫様は無事なのね。シモンが守ったの、エライわ」 項垂れるシモンに近づき頭を撫でる。捕まってここに居るという事、手足に架せられた拘束、僅かに覗くポンチョの下の惨状を確認し、シモンが受けた陵辱を察して眉間の皺が深くなった。 「触るな、これは俺の獲物だ」 出来ればシモンを助けてやりたい。ヨーコと一瞬だけ視線を交わしてリーロンは喋る。 「だから食べちゃったの?可哀相に。シモン、カミナの大きいから大変だったんじゃない?」 「いつテメェに見せた事があったっつうんだよ」 「あら、他にも知ってるわよ、見えない場所の刺青とか、傷とか、ホクロとか」 リーロンのからかう口調がカミナの神経に障り、振り向きざまに喉元に鞘に納まったままの大刀を突きつける。 周りの技術者達は止めも加担もせず、笑いを噛み殺しながら二人の様子を眺めている。 「嘘八百並べ立てンじゃねぇ」 相手の腕に鳥肌が立っているのを確認して、大刀を優雅に払う。 「何年か前にヨーコと間違って襲ったクセに」 「ありゃお前が謀ったんだろうがっ」 「股間を触るまで気付かないくらい切羽詰ってたのね」 「お前ぇ」 過去の古傷を晒されキレたのか、カミナはシモンをリーロンに投げつけた。さすがに避けるのはシモンに悪いと思い、リーロンはその身体を受け止めようとし、重量に負けて倒れた。 小柄な少年の危険さを示す重い枷と、それを片腕で軽々と投げつけるカミナの馬鹿力に呆れた。 「何すんのよ、バカカミナ!!」 ヨーコが食ってかかり、口喧嘩が開始される。周りは相変わらず傍観の立場を取っている。 「あんたいつの間に男、いえ子供にも手を出す外道になったのよ」 「っせぇ、デカ尻っ!!」 重なり呻くシモンの耳元にリーロンが囁いた。 「本当にゴメンなさいね。ここから助けてあげたいんだけど、カミナはリットナーの協力者で取引相手だから、無茶はできないの。酷い事を云うようだけどね、カミナが誰を襲おうと私達に被害が無ければ、それを止める手立てはないの」 ヨーコがカミナを罵り立ちふさがって視線を二人から離してくれている。身体を起こす振りをしながら更にリーロンは言葉を続ける。 「ただ、カミナのガンメン修理に二、三日位はここにいるから、何か良い手立てがあったら助けてあげる。でもあんまり期待し過ぎないでね、カミナは怖い男だから」 手早くそれだけを一方的に喋ると、今度は大げさに喚いた。 「ちょっと、ヨーコ助けて。この子すんごく重い」 ヨーコが振り向き、シモンを何とか抱え上げようとする。 「やだ、何この鉄枷の重さ。子供になんて事すんのよ、本当に外道ね」 「触んじゃねぇ」 ヨーコの腕からシモンを奪い、再び肩に担ぎ上げる。 「日の入りまでにはダイグレンを歩けるようにさせろ」 口で勝てないと見切り、そう云い捨てて機関部に背を向ける。その後ろをロシウが付いて行った。 それを見送りながらリーロンが溜息混じりにヨーコに囁く。 「面倒が起こるわよ、リットナーにも害が及ぶかもしれない」 ヨーコの表情が険しくなった。 カミナの進む方向を見て、私室に向かっているのだと知ったロシウは唇を噛んだ。 昼にカミナから頼まれた事は、新しい捕虜の身繕いだった。その捕虜が目の前のシモンなのだが、陵辱されたとは知らされていなかった。カミナが同じ年頃の少年にそんな事をするとは思いもしなかったのだ。シモンの心境を思うと、打ちのめされている彼にあまりも自分は不用意に身体に触ろうとしていたのを悔やむ。 目の前のシモンに同情しながら付いて行くと、艦橋近くでカミナの足元に子供が纏わり付いてきた。 「カミナ、ダイグレンは何時動くの?」 男の子がカミナを見上げた。 「…今度は、どこに行くの?」 女の子がマントの裾を遠慮がちに引っ張る。 男の子がギミーで、女の子がダリー。五歳になる双子はロシウと同じ村の出身と境遇で、戦災に遭い孤児になったところを大グレン団に拾われた。 「今日中には出発するぜ。まだまだ岩ばっかりの荒野だ、退屈ならロシウに遊んで貰え」 カミナはそれぞれの頭を撫でてやる。髪を掻き雑ぜる力の強い手に双子は楽しげな声を上げた。 「これ誰?」 ギミーが担がれているシモンに気付き、無邪気に尋ねた。 「俺の玩具だ」 「おもちゃ?」 玩具と聞いて、シモンに触ろうとする二人をロシウが止めた。 「ギミー、ダリー、部屋に戻ろう」 ロシウは二人の手を引き、通路を戻る。一度振り返り、遠のいていくシモンを心配そうに見詰めた。 ギミーとダリーを構ってやり、双子が夕食前に寝付いてから、ロシウはカミナの部屋に、シモンの為の服を持って訪ねた。 夕日に染まるカミナの部屋の片隅で、シモンは気を失い倒れていた。ポンチョは剥がされ、晒された裸体と床は白濁の汁が散っている。痣も幾つか増えていた。 それを正視出来ずに、衣服を持つ手が震える。 「何故、辱めたのですか」 窓辺に凭れているカミナに問う。 カミナはロシウ達にはこんな酷い扱いはしない。ならず者の集団の中にいるにも関わらず、戦いを教えるでもなく普通に養っている。 「お前やギミーやダリーは焼け野原で俺が拾った。いずれ世間に返してやるつもりで一時、預かってるだけのただの子供だ。だが、コイツは違う。俺に剣を向けた。剣を持つ奴は子供だろうが大人だろうが、負けた時の覚悟はしとくもんだ。コイツは俺に負けたんだよ」 「でも、その…こんな…」 カミナはロシウの持ってきた衣服を取り、自分のベッドに放り出した。 「コイツがこれでダメになる男だったら、それは仕様がねぇ。その程度の男ってこった」 納得しないロシウの頭を撫でる。 この手は血で汚れているが、この手に自分達は救われたともロシウは知っている。 「コイツの目はこのまま色小姓になりそうにねぇけどな」 身体を貫けば泣きもし善がりもするが、目の中の強い光は無くならない。反抗的な視線はどこまで持つだろう。 赤い逆光の中でカミナは哂った。 西の空は紅に、東の空は藍に、その中天にほの白い月。 黄昏時の虚空を一筋の光が落ちてくる。流星の如く天を横切り、螺旋王の王宮玉座広間に轟音を響かせて刺さった。その速度と緑の光を纏う威力に、張り巡らされた結界や警備を容易く切り裂かれ、王宮の人々を慄かせた。 ざわめき立つ兵士や側近を震え上がらせた玉座正面に突き刺さった塊----シモンのガンメン、ラガン----から、螺旋王ロージェノムの第12子にして第7王女ニア・テッペリンが降り立った。 「14年振りです、お父様」 凛とした声が玉座広間に響く。 「ニアか…」 重い声が応えた。 「早速ですが、皇位は私がいただきます」 色めき立つ近習を余所に、螺旋王は頷いた。 「良かろう、ではお前の力を示せ」 ニアの身体が緑の光に包まれていった。 |