幼馴染同盟 ※ ヨーコの名前を庸子としています(男一匹から拝借)。江戸時代では『子』のつく名前は天上人のみでしたが、なんちゃって時代劇ですので、ここはひとつ寛大なお心にてお許しいただきたい。(他の名前で『お庸』とかにするともう別人な気がしてしまいまして…) 春はもうすぐそこだと言うのに、寒の戻りでぼた雪がちらほら舞う中、宇津和庸子は本所南割下水にある神野家を訪ねていた。 弓の朝稽古に出て、その後、薙刀の稽古に行く途中である。 玄関に出たのは案の定、使用人の志門で、主を起こすから次の間にてお待ち下さいと慌てた。 「あたし、この後薙刀の稽古に行くから玄関でいいわ、志門」 「しばらくお待ちくださいっ」 あたふたと熱い煎茶と饅頭を出して、奥の間に引っ込む。 稽古で一汗掻いた身体に、煎茶が美味しかった。 この辺、志門は神名と違って気が利くなぁ、と遠慮なく饅頭に手を出した時、奥から。 「あだーーーーーーっ!!」 男の悲鳴が聞こえ、暫くすると幼馴染の神名が姿をあらわした。眉間に皺を寄せ、左の二の腕をさすっている。 「お早いお目覚めですこと」 「あんのようだよ、庸子…」 そこに澄ました顔で志門が神名にもお茶を出した。 「養父からお使い頼まれたから、持ってきてわ。これ、」 両親を早くに亡くした庸子は、学者の家に引き取られて育った。その学問所に顔を出していた神名や騎丹とは幼馴染のひとりである。 「別に何時だっていいのによ」 差し出された包みを無造作に脇に押しやる。中身は小柄と扇。謂れがあるらしく、調べたいと頼まれて貸し出していた品だ。家宝のようだが、神名にはさほど感心のあるものではない。 ふと、庸子が口にしているものに気が付く。 「その饅頭…」 「うん、美味しいよ」 ちら、と神名が志門を見た。つられて庸子も少年を見ると、にこにこと笑顔で脇に控えている。主の眉間の皺が深くなったのを見て、庸子はこれは食べてはいけないものを食べたな、と察したが、もう半分以上を稽古後のすきっ腹に収めてしまったのでどうにもならない。 「志門、メシを用意してくれや」 はい、と返事をして少年が奥に消えたのを見てから、庸子が小声で話しかける。 「ごめん、これあんたの分だった?」 「いや昨日、志門にやったモンだ」 「げ、ごめん…志門に悪い事しちゃったな」 「なんで食べないかね、あいつは。俺がせっかく買ってきたモンを…」 こくり、とお茶を飲む。 神名がせっかく? 七年前に神名家に引き取られてきた志門を、その時から神名が弟分だと可愛がってきたのはよく知っているが。なんというか、台詞が、その言い方がなんとも妙な感じだ。 最後の一欠けを口にして、煎茶を飲み切る。 「じゃ、あたしこれから稽古あるから、また」 「応」 暇を告げ木戸を通る前に、ちらりと幼馴染を振り返ると、一瞬だけ固まり、庸子は足早に神野家を後にした。 「でねっ、あたしは何を見たと思う?」 昼下がりの茶店。ここの団子が美味いと強引に連れられて座った席で、黒野騎丹は額に手を当てた。 まずい。まだ勤務中に茶店で女連れも傍目に良くないだろうが、それ以上に幼馴染の話す内容に悪い予感がする。 「悪ぃ、庸子。その続きは話すな」 この前の一件から、その話の続きは聞かなくてもなんとなく分かる気がした。 「神名がね、多分、志門に起こされる時に腕を噛まれたんだと思うの。あたしが次の稽古に急いでるって分ってたから」 「お前、俺の云う事聞いてねぇな」 俺の制止を無視してお嬢さんは話始める。なんで俺の幼馴染は我が道を突っ走る奴ばかりなんだろう。 「二の腕に小さい歯型がくっきり残ってたの。あれは五日は痕が残るだろうなぁ」 「ああ見えて、志門はやる時はやる男だからな」 あの神名についていけるだけでも感心する。 「その歯型に、神名が口を重ねたの」 「………、傷口を舐めた、とか…じゃねぇの…?」 「血なんか出てないわよ。しかもなんて云うの、こう、そっと、大切そうに?…愛おしそうに?」 騎丹は一口茶をすする。 「悪ぃ、庸子。俺は甘いモンがキライでよ…」 「あ、ごめん。ここのお団子甘いよね…」 「いや、団子じゃなくて…」 「やっぱり、そうなの?」 綺麗な瞳が真剣味を帯びて向けられる。 ぐっと、騎丹は息を呑む。 小さい頃から、庸子が神名を慕っていたのを、ずっと側で見ていた騎丹はイヤという程分っている。その相手が小僧に懸想している等と云ってしまっていいものか…。 戸惑う騎丹の様子に、庸子は確信を得る。 「そうなんだぁ」 見惚れてしまう満面の笑顔に騎丹は更に戸惑う。 「え?あ、庸子……さん?」 「あの馬鹿にもようやくっ」 ぐぐっと握り拳が作られる。 「弱みが出来た訳ねっ!!」 「そっちかよっ、お前、前は神名に惚れてなかったか?…あ」 きょとんとする庸子に、云ってしまったときまり悪げに視線を逸らす。 「あ、やっぱり分ってたよね…騎丹には…」 そんなお前に惚れてる俺はどうすりゃいいのやら。神名の事も馬鹿に出来ねぇ、俺も惚れた相手にきちんと告げるべき事を告げていない。 「好きだったよ。何年か前まではね」 恥かしげに、目を少し伏せて微笑む横顔があまりに綺麗で、騎丹は愛しさを募らせる。 「でも、あたし、やりたい事見つけちゃったんだ」 「なんだよ、初めて聞くぞ、それ」 えへへ、と少女だった頃から変わらないやんちゃな笑顔を浮かべる。 「お養父さまの手伝いしてる内にね、子供達に手習いを教えるようになったの。それが楽しくて、自分で寺子屋開きたいなぁって」 「女先生って奴か…」 「うん、出来たら、の話なんだけどね」 「やれるんじゃねぇの、お前ならよ」 「ありがとっ!!」 弾ける笑顔が騎丹には眩しくて仕様がない。 「それに、神名に大事な人が出来たのが嬉しいな」 「?」 「なんか、さぁ…アイツってなんか人を寄せ付けないっていうか、どこかで線引きして内側に入らせないっていうか…」 綺麗な顔が少し曇る。 「なんなんだろうね、その見えない溝?みたいなのがどうしても超えられなくて、独りで生きていく感じがしてたんだけど」 苦笑する庸子に、騎丹は言葉を呑み込む。その溝の正体を知ってる、と。 あいつはこの太平の世の中で、人斬りをしているから。用心棒の他に、神名は人知れず内々に処分される侍たちの切腹の際の首切り役も生業としている。何度か立ち会った事があるが、それは見事に一太刀で、首を落とすのだ。 いくら庸子が武家の養女で、女だてらに武道を極めていても、人は殺さない。あくまで、板の上での武術だ。町方の自分も刀を抜く事はあるが、人を殺す事はない。(先日の火盗改方の職になれば別の話だが) 「でも、大切な人が出来たのなら、嬉しい」 陽のもとで、まっすぐ前を向いて生きる庸子と神名は世界が違う。 ひょっとして、その辺りで神名も志門に手を出すのを躊躇っているのか。 「……志門が泣く事にならなきゃいいがな」 「そこを上手く持って行ってやるのが、幼馴染のよしみじゃないの?」 「下手に手を焼いて、馬に蹴られたかねぇよ」 「あの感じじゃ、アイツまだ志門に手は出してないよね」 「……、悪ぃ、やっぱこの話聞かなかった事に…」 「なんでよ」 年頃の男女が茶店で笑う。ここにもその内確かな縁が結ばれるかもしれない。 その頃、神野家では、豪快なくしゃみと、小さなくしゃみが同時に起こった。 朝の出来事---志門視点 昨晩から冷えると思ったら、今朝はぼた雪が降っている。 かじかむ手足を擦り合わせていたら、ぬかるんだ道を物ともせずに庸子様がいらっしゃった。玄関に立たれただけで、春のような華やいだ空気が溢れた。 庸子様は神名様の幼馴染で、学問所のお嬢様で、明るくて優しくてとても綺麗な方だ。 ご両親を亡くされていて、同じような境遇の俺にもとても優しくしてくれる。 それに、神名様と同い年でまだ嫁がれていない。俺としてはこれはぜひ!!神名様のお嫁さんになっていただきたい!!神野家の行く末の為にも!! 「あたし、この後薙刀の稽古に行くから玄関でいいわ、志門」 ぜひゆっくりして行っていただきたいのに、庸子様は先をお急ぎだ。背負っているのは、弓と薙刀のようだから、稽古の合間に寄られたのかな。 なのに、神名様ときたらまだ寝床から起きていないっ。せっかく庸子様がお立ち寄りになられているのに。 「しばらくお待ちくださいっ」 とりあえずお茶をお出ししなくちゃ、何かお茶請けを…。そうだ、昨日神名様から頂いた饅頭がある。美味しいと評判だからと買ってこられたみたいだけれど、俺は今ひとつ味が良く分からない。だから、庸子様に食べていただいた方がいいよね。 戸棚に仕舞った饅頭と、お茶を出して、いざ、神名様を起こしに!! 寒いせいか蓑虫のように布団に包まっている神名様をいつもより強くゆする。 「神名様、起きてください。庸子様がお見えです、神名様」 「んー」 いつもより強くゆすぶったけれど、神名様は起きない。 「早く起きてください、お待たせしては庸子様がお困りになります」 「んー」 仕様がない。 「起きてくださいっ」 がばりと布団を剥がす。今朝は寒いから、これで目が覚めるはず。 ぶるっと震えて神名様がうっすら目を開く。やった、成功!! でもすくに布団を掴んだ腕が引っ張られて、神名様の懐に入れられる。 「寒ぃ…」 「ちょっ、神名様、起きてくださいっ」 放してほしくて、もがいたけれど、強い腕が更にぎゅうぎゅう抱き締めてくる。 ちょっ、痛っ、苦しい。固くて厚い胸板に押し付けられて、息が出来ない。 だけど、あったかい。冷えた体があったまる……。小さい頃はよくこんな風に寒い時期は一緒に寝たなぁ…。いやいや、思い出に浸ってる場合ではなくて、起きてもらわなくては!! ごめんなさい、神名様。 俺は神名様の左腕に思いっ切り噛み付いた。だって、右腕は神名様の稼ぎ所だから。 「あだーーーーーーっ!!」 ようやく目が覚めた神名様を玄関に連れて行く。 お二人揃ってお話されている姿が将来のご夫婦のようで、俺は嬉しくて見入ってしまう。 「志門、メシを用意してくれや」 あ、気が付かなくてすいません。邪魔者は退散します、どうぞごゆっくり。 台所で支度をしていると、割と早くに神名様が顔を出した。 「もうお帰りになられたんですか?」 「応」 そっか、稽古に行く途中だったっけ。でも、もう少しお話されればいいのに。 「それ」 鍋の味噌汁を指さした。 「お前が作ったヤツ?」 「あ、いえすいません、昨晩ココ爺が作った残りなんです。神名様お急ぎかな、と思ってすぐに出せるものをと」 庸子様と一緒にお出かけにならないかな、とか思ったり。 「別に急ぎの用なんざねぇよ。今日は寒ぃしよ、布団に潜ったままがいいんだが」 ダメだ。俺がなんとか神名様と庸子様をどうにかくっつけないと。 新たに決意を固めた、志門の寒い朝の出来事でした。 <End>
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