6


 容赦のない日差しも昼間の戦闘も冷めた夜。
 荒野を渡る風を避ける様に、ダイグレンは峡谷に身を沈めて一時静かに眠る。
 月明かりに照らされたベッドでカミナも闇に沈む。
 荒野を渡る風がカミナを昔に返す。遠い記憶、遠い過去、遠い故郷。


「シータ!!水汲みは俺がするから、大人しくしてろよ」
「お腹が大きいからって、動かないのは私にも赤ちゃんにも良くないのよ。これ位は大丈夫よカミナ」
 地下の村ジーハ。地上の光を巧みに反射させたやわらかい光が、地下深い村を明るく照らす。地下水脈をポンプで汲み上げた村の中央の泉は村の貴重な水資源だ。
 岩盤を掘りぬいて作られた居住区や、日光を調整して作られた農地も生きていくのになんとか困らない程度の食料を生産し、ジーハ村の人間達は村を豊かとはいかないまでもこの地で暮らしている。
 地上はどこまでも荒野。乾いた風に砂が混じり吹き荒れる荒野。植物もほとんどなく、岩ばかり。それらから逃れるように出来た地下の村は、地上に比べれば遥かに楽園だ。
 村の中央に広がる泉で、俺は養母のシータから桶を奪い取る。
「名前、もう考えたんだろ、なんて名前にすんだ?」
「まだよ今タキシムが考えてるわ。もうすぐカミナもお兄ちゃんになるわね」
 自分の大きなお腹を優しく撫でるシータの顔は優しい母親の顔。
「男だったら俺の一番の子分、いや弟分だな。女だったら、俺が大人になったら嫁さんに貰う!!」
 シータが笑うが俺は本気だ。
 親父が死んでから俺を引き取り養ってくれたタキシムとシータに赤ん坊が出来る。それは俺にとっても新しい家族だ。
 生まれてくる赤ん坊も、タキシムもシータも、村も、親父の代わりに俺が守る。そう誓っている。
 俺達が寝起きしている横穴まで水を運ぶと、俺はまた狭い通路に出た。
「どこ行くの、もうすぐ夕食よ」
「新しいの彫って貰ってくる」
 自分の肩を叩いて、駆け出す。先月、蒼い模様を入れた両腕に続いて今日から肩に刺青を彫って貰う。村の護り手に代々伝わる掟だ。
「カミナ…」
 少し悲しげな顔でシータが俺を見送る。
 死んだ父親を真似て入れる刺青にシータはいい顔をしない。が、これは村の護り手だった親父に誓って譲れない。
 4年前、ロージェノムという王の国に併呑されるのに、ジーハは抵抗し戦って敗れた。それからこの村は正式にテッペリン王国の一部になったらしい。
 独特の習慣を持つ村に王都の文化やシステムと地方への差別が入り込んできた。
 鉱山を有するがさほど豊かではないこのジーハ村に、王に献上しなければならない税が村の暮らしに重く圧し掛かっている。
 けれど村長や村の年寄り達がひそひそ話す内容によれば、村の生活はかなり窮屈になったが、小さな民族が多数存在する地方同士の小競り合いは無くなって以前より平穏な暮らしになったらしい。
 ただ民族解放を叫ぶ者は多く存在する。中でも4年前の戦いで、最後に螺旋王と一騎打ちをした親父の一人息子である俺を祭り上げようとする奴等もいる。
 そんな奴等に利用されないようにと、その戦いでお袋も亡くした俺は、親父の親友だったタキシムに引き取られたが、俺の成長と共にその声も大きくなっているようだ。
 俺を担ぎ上げ再び螺旋王と戦おうとする連中、逆に俺を螺旋王に渡しこれ以上の反抗の意思はないと見せたい連中の声も抑えて、タキシムは俺を養ってくれている。
 優しく大人しい父の親友は実は若いながら鉱山担当若手主任だ。
 村長にも信頼は厚く、慎重な性格のタキシムは、村の独立を無理に望まないが、ある程度の自治を認められている現在の様子を静観している。
 彼に養われてからは、俺の周りは表立っては騒がなくなった。けれど俺が密かにしている剣の稽古は、反螺旋王の連中が俺に期待して稽古をつけてくれている。
 その連中が俺の刺青を彫る人間も紹介してくれた。
 形を真似るだけではない。親父が護れなかったものを俺が変わりに背負う。一針一針、強い男になる事を誓って刺青を背負う。
 再び三人で暮らす横穴に帰った時は、刺青の熱にうかされメシを食いながら眠り込んでしまい、いつの間にか寝床で毛布を掛けられていた。
「もうカミナも11歳か」
「ジョーやウェニーが亡くなって4年も経つのね」
 不意に上昇した意識に、養い親の会話が耳に入る。
 そう、俺はもう11だ。さっさと成人の儀式を受けて一人前になって、いつか…
 心配そうなシータを励まそうとしたが、刺青を入れた疲れからか起き上がれない。
 大丈夫だシータ。俺が村を守る。タキシムもシータも、生まれてくる赤ん坊も。親父の代わりに俺がみんなを、ジーハ村を守る。
 例え村の人間が親父を罵ろうと、親父の不名誉は自分が挽回する。
 悔しいが親父は螺旋王に負けた。じゃあ俺は親父を倒した螺旋王よりも強くなる。そしてみんなを守るのだ。
 そう誓ったのに。

 数ヵ月後、シータは無事に男の赤ん坊を生んだ。
 タキシムにシモンと名付けられ、シータの腕に眠る赤ん坊は小さくてもびっくりする位大声で泣く。その声は生きたいと叫んでるように俺には思えた。
「俺の弟!!」
 抱かせて貰った小さな身体に生命がひたすら愛しかった。
 俺は夢中になってシモンを可愛がった。村の労働が無い時、食事の時、眠る時、空いた時間はずっと側にいた。
 安定しない身体を抱き上げ、頭を撫で、柔らかい頬を突付き、伸ばした指を赤ん坊が握れば喜んだ。
「シータ、コイツすげぇ力で俺の指を握りやがる。シモン、お前絶対強い男になるぜ」
 まだ見えないはずの目が自分の方に向いてるのが嬉しい。
 新しい家族のために、シモンの兄として強い男になると、労働も密かにしていた剣の訓練も今まで以上に打ち込んだ。刺青も肩から背中に広がって行く。

 それは、何の前触れもなく始まった。
 村に大きな地鳴りがした。
 横穴を掘らされていた俺は、音の正体を確かめようとすぐに坑道を走り出した。
 今まで聞いた事もないような轟音に悪い予感を感じて、シータとシモンのいる居住区に向かう。
 村の中央の泉にさしかかった時に、俺は驚いて吹き抜けの空間を見上げる。大天井に亀裂が入っていた。
 危ないと思う間もなく亀裂は広がり、固い一枚岩の大天井が崩落した。
 大量の土砂と岩、巻きあがる土煙。
 何層にも吹き抜けている空間があっという間に岩に埋まる。居住区や鉱山、畑への横穴が寸断され、いたるところで悲鳴が上がっている。
 振り返ると鉱山への狭い坑道にも土砂が傾れ込み、仮設の柱が坑道を支え切れずに折れていく。先程までいた場所が跡形もなく埋まっている。
 掘削作業の者たちは何が起こったのかも分からないまま生き埋めになっただろう。
 地下の村に射るような日差しが振ってくる。灼熱の光を背負い見た事もないガンメン達が、崩れた岩の上に立っている。そのガンメンが王宮直属のものだと知ったのは随分後になってからだ。ガキだった俺には大きな悪魔にしか見えなかった。
 そいつらは、おもむろにジーハ村を破壊し始めた。
 比較的固い岩盤に護られた居住区も徐々に破壊されていく。
 圧倒的な大きさに自分は成す術もなく逃げる事しか出来ない。
 俺は必死でシータとシモンがいる居住区に向かおうとするが、崩れていく通路を進めない。
 子供しか通れない狭い秘密の穴になんとか潜り込み、二人の元を目指して這い進む。
 地鳴りは止まない。何故ガンメンが今村を襲うのか分からない。ただ今は二人を連れて逃げる事しか考えられない。
 なんとか辿り着いた家に近い通路も崩れ始めていた。
「シータ!!シモン!!」
 大声で叫びながら家に駆け込んだが二人はいない。
 通路には広場へ向かう村人がいる。
「ダメだ、そっちの方が危ない!!」
 叫んだが止まってはくれない。そう、非常時には広場に集まるのが村の掟だから。
「シータ!!シモン!!」
 仕方なく俺もそちらに走り出す。やがて人のかたまりが見えた。
通路が崩れて広場に行けないと誰かが叫んでいる。
「シータ!!シモン!!」
 叫びながら近づく俺の目にシータが見えた。
「シータ!!シモン!!こっちに来い!!」
 俺の叫びに振り向いたシータの顔は、次の瞬間岩に遮られた。
 岩が俺の行く手を遮る。岩交じりの土砂と村の人間の悲鳴が混じる。
 伸ばした手は岩に阻まれる。
 悲鳴が岩に押しつぶされ、赤ん坊も村もなにもかも埋まっていく。
 視界が暗くなる。何も聞こえなくなる。意識が闇に引きずり込まれる。


 カミナの意識が闇から浮上した。
 全身が冷や汗で濡れている。
 久しぶりに故郷の夢を見た。
 ジーハ村が壊滅し、自分ひとりが助かったあの日の現実。
 荒野を渡る風の声は、ジーハ村から逃げ延びたあの日と変わらない声で叫んでいる。
 身を起こすと視界が回っている。血が音を立てて引いていき、悪寒に襲われる。
 頭が割れる様に痛み、自分がどこにいるのか分からなくなる。自分はまだ子供で王軍から逃げている途中なのか、初めて王軍の兵士を殺しガンメンを奪った時か。
 頬を叩き、自分が今どこにいるかを確かめる。
 青白い月が大グレン団の鬼リーダーと呼ばれる男の部屋を冷たく照らしている。
 現実を取り戻してくると、あの日の怒りと絶望がのどす黒い炎が渦巻く。
 今すぐにガンメンを駆って王軍に突っ込みあいつらのガンメンを一機でも多く叩き潰してやりたい、踏み潰してやりたい、生きたまま引き裂いてやりたい、ありったけの弾丸を撃ち込んでやりたい、なぶり殺したい、破壊したい。
 そうして破壊し尽して螺旋王を、テッペリン王族を滅ぼして、何が残るのかと胸の空洞が哂う。渦巻く怨嗟が冷めれば、 あの日の自分の無力さに己の身体を引き裂きたくなる。
 怒りと後悔と虚しさが体中を駆け巡り、己を戦いへと駆り立てる。
 失くしたものが戦いで埋まるはずがない事は分かっているのに、誰かと殺しあっていなければ前に進めない。早く何かと戦いたい。
 この夢を見た後はいつもそうだ。
 青い月が床に転がる少年を照らす。
 苦悶の表情のまま気を失っている身体の拘束を解き、ベッドに引き上げた。
 これは一体何だろう?
 シータその面影を多く残すこの少年を抱き締めて、カミナは再び眠りについた。


 何かが身体の下で蠢く。
「んぁ」
 目を開けると夜空色の髪が動いている。
 それを抱き締めて再び眠りに付こうとしたカミナに、夜空色の頭はグイグイと肩を押してきてそれを阻む。
「んだよ…」
 抱き締めた温かい体温が眠りを誘う。心地良いまどろみにもう少し身を委ねたままにしたくて、抵抗するものを腕に押し込める。
「離せ」
 木枷がカミナの顎を押し上げる。
 ようやくそれが誰なのか、ここがどこなのかを認識してカミナは目を開ける。
 清清しい朝の光が部屋を満たしている。
 寝覚めが良かった。
 弄んだままの少年の身体をそのままで抱えたので、シーツと自分の身体は赤や白の体液に汚れ、ベッドの上は中々の惨状だったが、あの夢を見たにも関わらずいつになく自分の頭も身体もすっきりしているのに驚く。
 いつもなら重い頭と身体を引きずりながらガンメンに乗り、戦いを探しに行くはずだ。
 シモンが嫌悪の顔で睨んでくるのだが、全く気にならない。
「シモン」
 少年の名前を読んだ。睨み返されるだけで返事はない。
 シータと同じ夜空色の髪と大きな目。
 これは子供の頃、腕に抱いた事のあるあの赤ん坊だろうか?
 俺が守ると誓いながら失ってしまったものだろうか?
 この少年がシモンと呼ばれた時一瞬だけ躊躇した自分。
 この少年をシモンだと認めたがっている自分。
 神経が逆撫でされた。
 たかがガキに、この俺が。
 カミナはいつもと違う苛立ちを覚えた。







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